3.郷土出身の偉人たち
五島が生んだ最大の国文学者 潁原 退蔵(えはら たいぞう)さん
[ 新魚目町郷土誌から抜粋して分かりやすく書き直しています]
 退蔵さんは、明治27(1894)年、小串に生まれました。父・謙三さんは小学校の校長先生で,父親の転勤で小さいときは、小串、似首、奈摩で過ごしました。
 大正2(1913)年、長崎師範学校(現在の長崎大学教育学部)を卒業し、さらに、東京高等師範学校(現在の筑波大学)に進み、国語漢文を専攻しました。大正6(1917)年に京都大学文学部に入学し,卒業後は京都大学大学院に進むかたわら、京都府立女子専門学校(現在の京都府立大学)、同志社大学などで学生の指導をおこないました。
 大正14(1925)年、31才の若さで、「蕪村全集」(俳人、与謝蕪村の全集)を世に出して、注目を集めました。昭和6(1931)年には、京都大学助教授に昇進し、この頃にはすでに学会で、松尾芭蕉、与謝蕪村研究の第一人者と認められるようになっていました。学会での退蔵さんは、「屹立(きつりつ)する偉容(いよう)」(意味:高くそびえ立ったような堂々とした立派な姿)とまで言われました。退蔵さんから教えていただいた人たちは、文学研究の学会の中心にたくさんいたそうです。書いた本は、50冊、論文は、1000を超えています。
 大学生の時に帰って以来、30年以上故郷に帰ることがなかっただけに、退蔵さんのふるさとを懐かしく思う気持ちは、大変強いものでした。退蔵さんが書いた本の中に、「郷土への愛は、人間の持つ最も深い純情の一つ」とあります。また、その他の書物にも、ふるさとの海や山、村の生活などのようすが美しい文章で紹介されています。
 昭和22(1947)年に、長崎県出身者としては第1号の文学博士号をあたえられ,いっそうの活躍が期待されていましたが、持病が悪化し、昭和23(1948)年8月、54才で亡くなりました。
 平成25(2013)年、北魚目の海を眺めることのできる高台に退蔵さんの顕彰碑を建て、人柄を忍び、偉業を讃えています。