2.地域発展につくした先人たち
鯨組をつくり有川発展の基礎を築いた
江口 甚右衛門正利(えぐちじんえもんまさとし)さん
[ 旧有川町副読本、有川町郷土史から抜粋]
 正利さんは,江戸時代のはじめ江口甚左衛門(じんざえもん)の4男として生まれ,万治4年[1661]に17才の若さで家を継ぎ,有川村の総名主[村をおさめる人のまとめ役]となりました。

 そのころ,五島は一つの藩(はん)で有川村は福江藩(ふくえはん)でした。ところが,新しくできた富江藩(とみえはん)に魚目村がなったために,有川村と魚目村が領海問題で争うようになりました。そこで,富江藩,福江藩の両方の家来が話し合って海境を決めましたが,両方とも納得しませんでした。ついに,有川村は幕府の評定所[当時の最高裁判所]へ訴えることにしました。

 正利さんたちは,何度も江戸まで足を運びました。29年もの歳月と長旅の費用や苦労はたいへんなものでしたが,勝訴の裁許状を得ることができ,正利さんの総名主としての名声は高まりました。

 元禄4年[1691]正利さんは,鯨組を本格的に有川鯨組として組織を整えました。 宇久島の山田茂兵衛(もへい)さんの協力も得て,鯨の大漁が続きました。有川村に活気が戻りました。正徳2年[1712]までの21年間に懸網(かけあみ)による方法で1300頭以上の鯨を捕りました。最盛期には毎年30頭から80頭の水揚げがあり,多くの利益をあげ人々のくらしは楽になりました。

 このような村づくりの手柄や努力が認められ,20石をたまわり組支配役を命じられました。有川村民は,この江口甚右衛門正利のことをいつまでも忘れないようにと「二十日恵美須」の神様として,今も「正利翁社」(まさとしおうしゃ)として祭っています。